松の川の今昔 | ||||||||
松の川緑道は、もとは高田町を水源とし、矢上川に合流する小川のあったところでした。 昔は川の周辺には水田が切れ目なく続き、縄文時代には海であった慶応のグラウンドあたりでは軟らか過ぎて、田植えは田船を使ってしたそうですが、南側に並行して走る低い丘陵のために日陰になりやすく、収穫量の少ない「下田」(げでん)が多かったそうです。 小川は下田町あたりでは「松の川」と呼ばれていました。松の木がたくさん生えていたことから、この名が付いたようです。下流では「日の下川」と呼んでいたようですが、これは日吉の下を流れる川ということから付けられたといわれています。 「日の下橋」はこの川にかかっていた橋で、現在その場所には「ひのしたはし」の遺構であるプレートが残されています。 松の川は度々洪水を引き起こし、また都市化が進んで水質が悪くなったことなどの理由で、1991年に暗渠にすることが決められ、17年を費やし1998年5月に完成式が行われました。 埋め立てられたあとの道が「松の川遊歩道(緑道)」となっています。 |
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下の写真は、現在の下田地蔵尊バス停付近などで、昭和31、2年頃に撮影したものですが、松の川とバス道路の間が水田や畑であった様子や、まだバスが運行されていなかった農道の様子が分かります。 | ||||||||
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写真@ 後方の丘は現在の日吉第2ハイム辺りで、ふもとに松の川が流れていた。 |
写真A 右側の森の裾を松の川が流れていた。 左側後方に野球場のフェンスが見える。 |
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写真B 現在のバス道路。右側後方に下田地蔵尊の石段、燈籠が見える。 |
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![]() 写真C 現在のバス道路。ローソンよりやや東寄りのところで、駅方向に向いて撮影。 |
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写真E 右端木造の小屋のすぐ左方に、橋のように見える部分が松の川に架かっていた橋のようです。うしろは野球場のバックネットです。 |
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