何しろ定義づけられちゃうと頭にくるんですよ。頭ごなしに「こういうもの」だっていうのは気に入らない。ぶち壊したくなる。

YOSHIKI


 このバンドコラムとかいうやつはDAIとかいうヘタレが今までの活動を通じて単に思ったこと、感じたことを綴っている。いわばつれづれ草。
 しつこいようだがおれは別にたいしてうまくないし、清少納言程に偉くもない。ぶっちゃけ偉そうに物を言うなんて気が引けるではないか( ̄▽ ̄;)でわ今まで書いてきたのは何なのかといえば、そうやって感じてきたことを直に文面に表すことで自分の中の疑問みたいなのを追及したり、普段素直になれない人間なのでここでどんなことを思っているのかを吐露して気持ちを整理している。と言ったところになると思う。まぁ日記みたいなもんか。
 疑問とはなんぞかというと、まぁいいドラマーってなんだろうなぁとか、上手に人に教えるやり方とか、いやそういったことを考えること自体が意味ないのかなとか。やっぱり同じような疑問を持った人っているんじゃないかと思う。おれもそういった立場でみんなと一緒に考えていきたいっていうか、自分はこういう風に文を書くのが好きだからこういう試みをしてみてもいいと思う。

 そんなわけで今回はだ〜れも興味を持たないであろう、DAIの過去から現在のバンドの話をしようと思う。始めてたかが3年。でもおれとっては大事な3年。というわけで今回は自己満足と言われても反論できない程微妙な内容になってます。得るものはそんなにないだろうと思ったら即ブラウザの戻るボタンですよ奥さん。

 始めて組んだとき、大げさに言えば運命の時だ。「ドラムやってくれ」と言われ未知の領域を目の前にして、おれは何も考えないでOKしてしまった。 頼まれると断れない性格もあったとは思うが、まるでその時を待っていたかのようにさらりと返事したおれは一体なんなんだ( ̄▽ ̄;)
 次におれが起こした行動は図書室で本を借りることだった。『バンドでドラムが叩きたい』ドラム関係はこの一冊だけあった。なにごとにも準備は必要!って言ってもちょっとしか読みませんでした(だめじゃん)かくして初スタジオを迎える。何もかもが始めてだった。

rubic 2000.4 - 2001.10
 後々派閥別れするメンバー構成。この組み合わせは奇跡と言っていい(笑)
 簡単に言えばビジュアル系嫌いと今で言うパンク嫌いに分かれたわけだ。まぁそれはどこの学校でもあることなのでさして問題ないにしろ、ここまでバラエティに富んだメンバー。いわゆるどっちも派も含めてあらゆる思想のコラボレーションといったところか。まぁそこらへんは分かる人にはわかると思うけど。だからこそこのバンドは最高に勢いと強さがあったように思う。
 おれは最初にしてメンバーに、バンドに恵まれたと思っている。そこには右も左も分からない初心者からこの道3年のベテランまで、どこまでも深く沈んでゆくマイナス思考から尽きることなく燃え上がるプラス思考まで、ユーモアからマジメまで、悩み・挫折から成功・喜びまで全部あった。いろいろなものを見ることができた。技術も上がったし、時に話し合いもよくしたが物事がスイスイと先へ進むので伸び伸びとできた。
 このバンドは2年続いて解散。最後はメンバー全員、掛け持ってる別のバンドをメインに考えてやっていたように思われる。うーむ。
コピーしたもの:hide,LUNA SEA,D-SHADE,Λucifer,布袋寅泰,L'Arc-en-Ciel

○○ちゃんバンド 2000.12 - 2001.1
 抜け穴助っ人で一時的に参加したラルクのコピーバンド。秋葉原まで言って練習するので部活と一緒にやるのは結構大変だった。おれのドラムが技術的に安定し始めた時期で、ラルクをこなしたということ自体の自分の自信に繋がったりもした。本番にスティックを2回落としたのが記憶に懐かしい。学校外で始めてやったライブだった。そのライブ後、すぐ解散したと思われる。
 一つ思ったのは、何のコピーか明確なバンドってのは粘り強いもんだなと。おれがアドリブで叩くことができれば、ほとんどの曲をこなせた。それだけラルクが好きなやつらが集まってるし、合わせられる曲が多いと「じゃあ今度はDIVE TO BLUE行ってみようか、DAIくん知ってる?」といった勢いになるので練習も楽しいというものだ。
ラルクのみ

ドンタコス 2001.4 - 2003.3
 もともとシャムシェイドをコピーしようということで、互い実力を認め合ったメンバーが集まった。おれは意地でそれに参加し、念願のシャムシェイドをコピーしたのもつかの間、ボーカルがつらそうなのでハイスタのコピーに早変わりした。これでよかった気がする。
 最初に何かのコピーをやろうということでで集まったバンドは長続きしやすく、そうでないとなかなか継続が難しかったりするものだが、そうやって集まったバンドがよくこうも手早く乗り移ったもんだ。某カリスマギタリストの行動力の下、メンバー全員が機転を利かせていたといった感じか。
 やってみるとハイスタを知らない人にも好評だったのがよかった。まぁハイスタはそうだよな。技術的にはハイスタ定番の裏打ちがズレないでできるようになったり、まぁいろいろ。とにかく速い曲ができるようになった。レパートリーは50弱に及んだ。まぁ一曲一曲が短いからね・・・。みんな運動部やりながらだったからこの手のバンドの中では多分少ない方。

 おれがこのバンドが本当に上手いと思ったのは3年目の後夜祭。ニコチンのBASKETCASEの演奏中にボーカルが走り出した。観客には分からない程度のズレであるがおれは大いに焦り、あろうことか部分の切り替えてボーカルに合わせてわざとずらした。こんなことをしたら普通、ベースとギターはパニックものだが、その瞬間全ての音が一致して元通りになったのだ。ギターもベースもよく合わせられたものだ。他にも挙げたらキリがないが、演奏でここまで息の合うバンドはなかったように思う。この機転のよさ、これこそが上手いバンドだとおれは思った。おかげで一大事にカスりもしなかったのだ( ̄▽ ̄;)
 最後の舞台はおれの納得のいくものではなかった。受験のブランクがここまで響くとは思わなかった。今でも悔やまれてならない。
Hi-Standerd,B-DASH,BRAHMAN,NICOTINE,GREENDAY,LINP BIZKIT,NEW FOUND GLORY,DINAMITE BOY,KNOCK OUT,SHAME SHADE,Dragon Ash

響 2001.11 - 2002.10
 とにかくキャラの濃いメンバーがそろっていておもしろかった。最初の滑り出しがいまいちで、ジャンヌダルクのコピーなど最初の頃はやってて無茶に感じられた。が、後半の急速な成長には正直驚いた。ドラムである自分に対しても驚いた。最後の舞台は最も充実していた。本当に完成度が高かったと思う。
 ドラム的にもおもしろかった。ジャンヌのHEAVEN'S PLACEはやさしく丁寧に叩くという吹奏楽部的な境地に踏み入れることができたし、Dir en greyのMASKは超ド級にスピードが早く自分のアピールに繋がった。羅刹國で頭を振りながら叩いたのもおもしろかった。オリジナル曲に挑戦したり、キーボーを加えた6人編成など、ヴィジュアル系なりの楽しみ方があった。
 日の目こそ見なかったが、忘れてはならない。
Janne Da Arc,Dir en grey

コーヤバンド ? - 2002.10
 まぁほとんどドンタコスのメンバーなのでドンタコスの延長的な感じ。黒夢は本当に楽だった。結構楽しかった。来年再結成しないのかな?
黒夢,SADS

TAKE IT EASY 2002.9 - 2002.10
 3つも掛け持ちしてたのにまた組んでしまった。短期間なのにコミュニケーションをよくとってバンドの完成によく取り組んだと思う。ドラムボーカルやベースボーカル(笑)など新しい挑戦をさせてもらったり、いろいろ楽しませてもらった。本番も気持ちいいくらいうまくいった。
EAGLES,in the soup,Mr.big

ライフィスパーティ 2002.2
 一日だけスタジオセッション。ライフィストの曲は覚え切れなくてかなり適当だった( ̄▽ ̄;)もう一度ちゃんとやりたいものだ。

EAST CLANE 2003.4 - 2003.6
 なんか自分を出せなかった。思い通りのプレイができなかったというのが正直なところ。あそこまでぎこちないバンドは始めてかも。そうこうしてるうちにリストラされてしまった。

WAX 2003.9 -
 大学生にして全員初心者(ギター君は元ベース)という(笑)おれもギターに挑ませていただいている。本番がそれなりに合っててよかった。決してうまくはないが、やってて楽しい。なんだか見ててルービック時代が思い出される。そんな若さみたいなものを彼らに感じた。(年は同じだけど・・・)

ライフィスト 2003.8 -
 キーボードボーカルゆーじ、ベースたかやとの3ピース。しかしこの二人はほんとに上手いなぁと思う。ドラム叩きながらメインボーカルという貴重な体験もした。DAIは一応サポートとして現在もライブに参加している。

marmalade 2003.10 -
 思えば高校時代、自分がこのバンドと一緒に舞台に出るとは思わなかった。しかもベース・・・。このバンドの正式加入は新しい人生の幕開けになるかもしれない( ̄▽ ̄;)

バンドには恵まれている方だと思う。どこでものびのびとできたし、窮屈でもなかった。

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